関ジャニ∞ メンバー脱退の歴史を振り返る【内博貴・渋谷すばる】
関ジャニ∞は2004年9月22日に8人で全国デビューしています。
その約1ヶ月前の8/25が関西デビューの日。
デビュー日が2つあるって関ジャニ∞だけじゃないかな?
ある意味、特別感あります。
最近では7人のeightしか知らないという人も増えてきて
「7人なのになんでエイトなの?」というのをよく聞かれます。
若い10代の子なら「もう一人、内くんっておったんだよ」と話します。
30歳過ぎてる人には「菊間事件、覚えてないん?」で大体理解してくれます。
Contents
◆内博貴の脱退「菊間事件」
菊間元アナは冤罪だったという報道もありますがもう過去のこと。
あの事を境に内くん(内博貴)の未来が大きく変えられた事、それが事実。
他のメンバーからしたらいきなり降って湧いたような事件。
事務所の判断を待つことしか出来なかったんでしょうね。
eightにもエイターにも不安な長い長い時間だった。
事件後、東京から大阪に帰ってくる新幹線。
内くんが降りたホームで待っていたのは関ジャニ∞メンバー。
ホームで声をあげて泣き、抱き合うメンバーの様子がいくつも報告されていました。
eightは内くんが帰ってきてくれることをずっと待ってました。
約1年半もの長い謹慎期間。その後jr以下の研修生からの出直し。
その間もずっと連絡を取り合い励まし続けたメンバー。
47コンの東京ドーム公演。2日目。
ダブルアンコ中、走り出した7人。
見学に来ていた内くんをステージに上げたあの日。
着ていたツアーTシャツを脱いで内くんに着せる亮ちゃん。
嬉しそうなメンバーの顔。
また、戻れるんだと会場中が湧いたあの日。
でも、結果、内くんはeightにもNEWSにも戻らないという決断をしました。
2008年12月、事件以来大倉のレンジャーに書かれていた8→1が消える。
◆渋谷すばるの脱退に内博貴は
約10年後の2018年4月15日。
すばるくんのジャニーズ事務所、退所の記者会見が開かれる。
その4/16、少クラの収録に参加した内くん。「虹色の空へ」を披露する。
この曲は内くんが謹慎中に支えたくれたファンと関ジャニ∞の事を思って作った曲。
ずっと可愛がってくれたお兄ちゃんの決断を受けて、末っ子である内くんからのメッセージ。
何年経っても繋がっている想いや絆を感じました。
ありがとう。内くん。
エイターで良かったと再確認できました。
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